いつもその言葉がほしいのですが
我が家は兼業農家である。
父は会社勤めをしながら,せっせと田んぼの管理をし,それが我が家の光熱費をまかなってくれている。
そんな父が昨日田んぼを耕すと言いだした。
父の一言に,寒いから帽子を被んなさいと静子が黒のニット帽を出してきた。
それならと被った父だが,まったく似合わない。
似合う,似合わないは置いておいて,ニット帽を着用した第一目的であった寒さ対策には充分機能したようである。
ついでにマスクもして装備を整えた。
まるで銀行強盗だ。
まぁ,寒い中働いてくれるんだ。黙っておこう。
父は満足そうに外へ出て行った。
さて,話が変わるが現在我が家ではお風呂のリフォームをしている。
そのため毎日数名の大工さんが家を出入りをしているのだ。
もちろんすれ違ったときなんかは挨拶か会釈をする。
静子が花の水遣りをしに庭へ出たとき,1人の男性とすれ違ったので挨拶をした。
静「おつかれさまですー。」
相手「??!」
その相手とは紛れもない父であった。
そんな言葉結婚して初めて聞いたぞ,と父。
静子は「なぁんだ,パパか。」とだけ言って水遣りを続けた。
お誕生日おめでとう
今日は静子の誕生日。
誕生日といえばケーキ。
ケーキつながりで静子の幼少期のクリスマスのお話をひとつ。
静子が幼い頃,ケーキといえば高級品。
そんな高級品なケーキでも,庶民が食べれる物といえば現代のコンビニで売られているケーキの方がクオリティが高い時代であった。
それでも,今ほど甘いものが常に食べれるわけではない。日本中が少し貧しい時代。
そんなケーキでも子どもたちにとっては心躍らせるものだった。
当時,静子の母(私の祖母)はパートをしていたらしく,クリスマスの時期になるとお給料と一緒にホールのデコレーションケーキをくれたそうだ。
通常クリスマスケーキを食べるのは24日。しかし,ケーキを渡されるのはそれより2,3日前。
前述したようにケーキは高級品だったので,なんともらったケーキを24日まで床の間に飾っていたそうだ。
しかし,甘いものに飢えている少女静子。
ケーキがあることがわかっているのに,我慢することなんて到底無理である。
ケーキが家に到着してから,こっそり両親の目を盗んではケーキをちびちびと食べていた。
このときすこーしだけ知恵を働かしていた。
どう食べていたかというと,箱から出したときに手前になる方を食べたのではすぐにばれてしまうので箱の置く側に位置する方を人差し指で少しずつ少しずつクリームをすくって食べていた。
だけど,箱の中に入れているときは見えにくい方でも,24日にケーキを箱から取り出すときにはばれてしまう。
当然,静子の行いはすぐバレた。
父親(私の祖父)が「誰だ!」と怒ったそうだが,素知らぬ顔をしていたそう。
その話を静子から聴いたときに,母は他に妹と弟がいるのでその2人のせいになるじゃん,と返した。
静子は悪びれず,「どうせ他の2人もやってたでしょ」と一蹴。
さて,そんな幼少期から何十年も経った今,この日本には美味しいケーキがあふれている。
私たち家族が大好きなお店で,静子のバースデーケーキを注文した。
今年のケーキはオペラ。
お母さん,お誕生日おめでとう。
Aloha !
ハワイの挨拶といえば "アロハ!"である。